ウクライナのロシア人虐殺について調べ
2013年11月親ロシア派、ウクライナのヤヌコーヴィチ大統領が、
ロシアからの圧力を受けて、EU加盟の前提となる連合協定への署名を拒否。
キエフで大規模な反政府デモが起き、騒乱状態に。
2014年ヤヌコーヴィチ大統領は2月21日に首都キエフを脱出。
ロシアに亡命。
2月27日ロシア軍特殊作戦部隊がクリミア議会、行政施設、
マスコミ・通信施設、空港などを占拠。
3月16日住民投票が実施、約9割の賛成票でクリミア半島の独立とロシア併合が可決。
4月7日ドネツクで政府の建物を占拠した親ロシア派勢力が
5月2日オデッサにてウクライナ暫定政府側と親ロシア派住民の大規模な衝突が起き、
労働組合会館に逃げ込んだ親ロシア派の住民多数が放火によって死亡。
これを虐殺としているようです。
この直後の5月11日、ルガンスクでも親ロシア派勢力が
「ルガンスク人民共和国」の独立を宣言するわけですが、
これはどう見てもロシア側の起こした領土問題による民族紛争ではないですか。